子どもの学びを通じて、親として思うこと

 

 

 

先日、はるとの高校入試があった。

 

山村留学先の学校で、

アクティブラーニング(対話型学習)の面白さに

目覚めてしまった彼は、

 

一斉授業による講義型の授業では

全く満足できなくなり、

地元の学校に編入した4月から、

挫折の連続だったように思う。

 

彼なりに、現状を何とか変えたいと、

学校の校長先生や先生、生徒

学内に留まらず、

市の教育委員会や近隣の中学校まで押し掛けて、

話しに行ったり、ブログで発信したり。

 

その行動力には、

いつも驚かされるけれど、

 

焦りや不安、思うようにならない不満が

さらなる原動力となって、

ある意味、暴走に近かったような気がする。

 

私はその様子を

ただ見守ることしか出来ず、

 

「この子は一体、どうなるんだろう!?」という

不安でいっぱいだったことは間違いない。

 

 

 

山村留学経験があるからこそ、

今の学校に行く意味を見出せず、

もがき苦しむ様子は、

 

貴重な経験であり、

決して無駄ではなく、

大きな学びとなることを

疑いはしないけれど、

 

意欲や、

学力も200点以上下がってしまった状況で、

さて、どこへ向かうのか、、?

 

環境がこんなにも大きく作用するのか、、

愕然とした気持ちと、

矛先のない不安。

 

心配で心配で仕方なかった。

 

 

「勉強」と「学ぶこと」の違い

 

もちろん、学力が全てではなく、

偏差値で進学先を選択することにも

今は大きな違和感を感じているし、

 

彼が今の学校に感じている違和感は、

とても本質的なことのような気もする。

 

ただ、正論がそのまま通用しないように、

世の中が本質的なことだけでなく、

大きな矛盾も孕みながら、

 

それでも他者と調和をもって、

回っていくことを目指すのが良い。と思うので、

(このこと自体が私自身の価値観であり、

 バイアスだということも理解しつつ)

 

たとえ本意ではない環境に

身を置いているにしても、

 

「あの頃は良かった」なんて、

感傷に溺れたままで、

 

「環境が合わないから」と

言い訳せずに、

 

今置かれた環境で、

自分の力を発揮できる方法を探り、

最善を尽くす力を身につけてほしい。

 

そうでなければ、

社会では通用しない。

 

と、

どうやら私は

思い込んでいたようで、

 

折り合いが付けられず、

苛立ちに取り憑かれていたような気がする。

 

 

「勉強しなさい」と言葉を掛ける時の

「勉強」とは、一体何を指すのだろう?

 

数学の公式や英単語を覚えること?

ノートに向かって、問題を解き続けること?

 

彼が学びたいと願うのは、

そのもっともっと

根源のような気がしているけれど、

 

だからといって、

どうしたら良いものか!?

 

親としての日々は、

ひたすら混迷を深めるばかりで。

 

 

さて、進路はどうしようか?

 

そんな彼なので、

公立や私立の普通科。という

スタンダードな進路は望まず、

 

アクティブラーニング(対話型学習)主体で、

自由度の高い授業を行う学校を探し、

県内外から3校受験することに。

 

・来年開校する高等専門学校

・高等専修学校

・通信高校の通学コース

 

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答えのない入試問題とは?

 

どの受験も、

学科試験は確認程度しかなく、

偏差値基準もない。

 

試験は、

議題に対しての小論文や、

プレゼンテーションの動画の作成だったり、

 

答えのない問いや哲学に対しての、

グループディスカッションや

実際の学校授業に参加して、対話する。

という入試方法の学校もあった。

 

 

学科試験がほとんどないため、

明確な対策学習があるわけでもないからか、

 

受験を前に

ひたすら韓国語の独学に励んでいる彼を前に、

語学留学を目指している。というわけではなく、

韓国ドラマに出ていたかっこいい俳優と

「話してみたいな〜♪」と思ったことが

きっかけらしい、、

 

「もう、なるようにしか、ならんわ!」と腹を括り、

送り出した受験。

 

 

どの学校も、

自己採点のしようがない試験ばかりなので、

手応えのようなものは

さっぱりわからないのだけど、

 

どの受験も終わった後に

「ディスカッションが楽しかったー!」と

嬉々とした顔で帰ってきた。

 

「対話して学ぶことが本当に好きなんだな。」

その姿を見られただけで、

頑張ったな。よかったな。と思う。

 

 

独自の道を突き進む彼の姿を

受け入れきれずに、

泣きたい気持ちになることが

たくさんあるけれど、

 

それも、

私が「こうあるべき」だという形に

彼を押し込めようと

無意識に感じているからであって、

 

私の凝り固まった思い込みで

彼の人生や学びを

妨げてはいけない。と

 

心に刻みたい。

 

 

社会や子どもの学びの形が

ものすごいスピードで多様化し、

変化していく中、

 

私たち親の教育意識を

どうアップデートしていくか。

 

私の課題として、

これからも大いに学びたいな。と思う。

 

 

「学びは学校だけで行うものではなく、

 むしろそれ以外での学びが大切だし、

 人生の使命だと思う。」

 

そう言い切る彼の、

 

継続性はさておき、

いろんなことに興味を持って、

自ら学びを深めていく瞬発力と行動力は、

彼の1つの素晴らしい力なのだから。

 

この先、いかに転ばないように。と

手助けするのではなく、

 

子どもたちの個々のエネルギーを信じて、

見守ってやりたい。

(む、難しい、、)

 

 

受験生と、

その受験生を見守るすべての方へ。

 

大変なこともたくさんあるけれど、

いっしょに頑張りましょうね!

 

そう

大きな声で叫びたいです。